琳堂ヤコのHell's Drive

ADHDで躁鬱で教養あるけど生活力ない人

目標:母親との共依存から脱出する

どうもどうも。

今回は母親との共依存について自分の経験や思いや考えを書いていこうかと思うよ。

 

そもそもこれを書こうと思ったのは、婚約者君と住む新居から、保育園の申請手続き書類のため実家に帰省した時に、回復して順調に過ごしていた心身が一気に重くなったことがきっかけ。

発達障害を持ちながら出産2か月後には育児と仕事の両立が始まりあっという間にうつ病が始まったヤコ氏にとって、3歳になる娘とのコミュニケーションはこれまで十分とは言えなかったのだけれど、回復して帰省した今回は長時間娘の相手をすることに成功。しかも精神的圧迫は無かった。

それにも関わらず私の精神を重くさせたのは、2つの要因が考えられる。

1.実家が狭く、自分一人の空間が無くうまく休めなかったため

2.母親の話の内容に問題があったため

 

前者は環境と相性が悪かったのだ、で済むけれども、後者はちょっと考える必要がある。話の内容に問題があるならば極力その話題を避けて過ごすべき・・・しかし、母親に関しての問題があった場合は・・・?

今回はその後者について考えてみたのである。

 

ヤコ氏は、3兄弟の長女として生まれた。当時母は30歳、父は29歳。随分あとから気付いたが、父親は十中八九アスペルガーだ。父方の祖母から、「幼少期に自閉傾向があった」と聞いた、と母から聞いた記憶がある。私の記憶にある中でも、父親他罰的な無自覚のアスペルガーで、とても厄介だった(一応明記しておくが、アスペルガーを持っているからといって全員が他罰傾向があるわけではないし、現にヤコ氏はアスペルガーの大切な親友がいる)。

 

アスペルガーの特性の列挙ではなく、「父の今までの行動」を列挙すると、

・いつもの場所に物がない、見つからないとプチパニックor不快感に耐え切れず怒る

・妻の帰宅時刻などの遅刻に異常なまでに執着し鬼電する

・自分の立場が不利になると「お前が悪い」の1点張りで壊れたテープのようにそれを繰り返す

・返済しきれない借金を作る

・長期間無視する、家にお金を入れない、などなど・・・

他にも、怒りに任せて、電気が点かないように家の全ての電球を緩めたり、ドアの取っ手にコードをグルグル巻きにしたり、料理時にわざとらしくドンドンと包丁をまな板に叩き付けたりしていた。

 

まさか夫が障碍者だとは思わない母はそんな父親に期待し裏切られ期待し裏切られ、傷つき通してきた。それは私が3歳になり弟が生まれた頃にはかなり母親を追い詰めていたようで、「私は3歳のヤコを同士にした」らしい。本人が言うのでそうなのだろう。

 

父と母が仲良くしているところはほぼ見たことがない。比較的穏やかな両親の交流は数えるほどだが、たいてい、母親の生粋の「良い人精神」が父の今までの行動を一瞬忘却させ、父親にもパニックの原因が無く、元々の人当たりの良さが出ている場合だ。そう、条件付きなのである。しかもこれらの条件は「母が忘却していること」「父がパニックになっていないこと」という、無理案件なのである。現に、私はそんな両親を見て「どうせ一時的なんだろうなあ」としか感想を抱いたことがない。

 

そんな環境で育ち、人一倍正義感と義務感が強く、母親を守らねばならないと思ってきたヤコ氏。それに加えて、弟が子どもとして溺愛された(ように感じた)のを見て、弟には無いわたしと母の繋がりに賭けてしまったヤコ氏は、いつの間にか「母親を守ること」がアイデンティティとなっていた。

 

これによる問題点は、「母親を守らねばならないという意識が精神を圧迫し、十分に叶えられなければ自分の評価が下がる」ということだ。母親を守ることで自己評価ができる。母親を守ることが自分の支えとなる。そういう仕組みになってしまっていた。

 

ここで強く主張したいのは、ヤコ氏は自分の母を「毒親」とは全く思っていないことだ。

それは「母を守らないといけない義務感」のために主張するのではなく、素直に、母がこれまで私にかけてくれた時間やお金や行動その他苦労に対して、それらが母の「子を思う気持ち」から来ていると確信しているからだ。

もちろん、母も一人の少女が成長して大人になり母親となったわけで、完全な人間でもなければ子育てが完ぺきというわけでもなく、人間なら必ずある失敗もあるし、親子喧嘩もしたし、母の意見が間違っていたり態度が間違っていたりすることもあっただろうし、現にあったと記憶にもある。

 

私の間違ったアイデンティティを作り出した一つの原因が、母が私に求めたことであっても、それはあの環境ならば不思議の無いことで、そうしなければ、両親を亡くしていた当時の母は壊れていただろう。だからそれは「仕方のないこと」だったのだ。

そう、私はこのアイデンティティを持ったことに関して母を責める気持ちは全くない。

問題は、ヤコ氏の間違ったアイデンティティ、そして母と私の共依存関係なのである。

 

冒頭で書いた「母の話した話題」とは、私の障害年金の2か月分を弟の学費に回すことだった。第1回の支給も弟の学費に回すために渡したのだが、私立理系大学の四年生である弟の学費はそれでは足りなかった。今回は仕方のないことだと思ったし、保育園が決まるまで娘を預かってくれている実家には何も言えないと思った。

そこでまた、例のアイデンティティが動くのを感じたのだ。

 

「私は婚約者君と新居で毎日幸せに暮らしてお金の心配も差し迫っているわけでもなく、療養しつつ家事をこなしつつ自由に過ごしている。一方、母は弟の学費に苦心し、弟も折角卒業単位を取ったのに卒業できるか分からないから就職活動もしておらず、高校生の妹は塾に行かずに大学受験の勉強をしていて、家計は苦しい・・・私だけ幸せでいいのだろうか

 

この、「私だけ幸せでいいのだろうか」という考えが危ないのだ。

私はいつも、「母より先に幸せになる」ことに違和感があった。罪悪感があった。穏やかで幸せで自由な時間があっても、ふと母親のことを思うと、「私だけが幸せなんて・・・」と罪悪感に胸が潰された。

もちろん母は「お前だけ幸せになりやがって!」などとは口にしないし思ってもいないと思う。勝手に私がその罪悪感を持ってしまうだけで。しかし母は、たぶんどこか私を精神面で頼りにしている。「ヤコなら受け止めてくれる」と無意識のうちに思っている。

 

「お母さんを守るというアイデンティティ」と「ヤコなら受け止めてくれるだろうという無意識」の組み合わせが、共依存を作っている。そしてこれが私の精神を圧迫している(母側にも何かしらの圧迫があるかもしれないがヤコ氏には分からない)。

そのために、娘と婚約者君との3人の新たな家庭への意識が、実家に戻って母の話を聞くことで揺らぎ、「未だ残る例のアイデンティティ」と「最近強く希望し期待する新たな家庭への意識」とがヤコ氏の心をごちゃごちゃにしたのだ。複雑な心境、というやつである。

 

これではだめだ、と思った。

適切な距離新生活への意識を大切にしなければ、母と私は依存から抜け出せない。

それをずるずると未解決のままにすれば、母も私も次のステップへ行けない。

そう考えても「私がお母さんを守らなければ誰がお母さんを守るの?」と心の中で声が聞こえる。でも、もう父とは離婚して家庭内での冷戦は無く、実家の問題と言えば弟の学費と生活費くらいである(たぶん)。

私はそれを解決することよりも、なるべく早く保育園に通らせ娘を受け取り3人での新たな家庭に集中することを優先するべきだし、母もそう願っていると思う。

だから、抜け出さなきゃいけない

 

まとめ

・ヤコ氏は「母親を守ること」がアイデンティティになり、自己評価の軸になっていた

・母はヤコ氏を「同士」として1つの精神的拠り所にしていたがそれは家庭環境から考えれば仕方のないことだった

・実家(母)よりも自分の新たな家庭を優先すべきである

・母との共依存を脱出するためには、適切な距離と新生活への意識を強く持つことが必要である

 

そんなことを考えたよ。長くなっちゃったよ。

ヤコ氏は自分のことをアダルトチルドレンだとか母親のことを「毒親」だとか、名前を付けたりするのには興味ない。ただ、問題点を挙げて分析して解決策を出して実行してみるだけ。

名前は調べるためには有効だけど、名前をつけると実際自分の抱えたものの詳細や全体が分からなくなったりしてしまう場合があるからね。これは個人的なやり方だけど。

 

次回はまた違う話題で書いてみようっと。

あの時褒めてくれたら

久々のブログ更新。

今回のテーマは「あの時褒めてくれたら」。

 発達障害を持っていると「注意される・叱られることが多くて自己肯定感が低い」という傾向があるのは周知の事実(少なくとも発達障害について調べたことがある人の中では)だと思うので省略。褒めてもらえた経験より叱られた経験の方が多い、もしくは印象強いのは発達障害界隈では当たり前のこと。

発達障害当事者の多くはこれを自覚しているところだと思うけれど、じゃあヤコ氏の場合はどうなの?ということを書いていく。

(主語が「発達障害」「ADHD」となっているところは、あくまでヤコ氏が考えていることなので当てはまらないところも出てくるとは思う、そこはご了承願いたい!)

 

 

 ヤコ氏は小学生の頃から文章を書くのが好きだったし、得意だった。

それは読書量が平均よりも多かったというのもあるし、自己表現として自由を感じるほど気軽に扱える「言葉」が好きだったというのもある。みんなが夏休みに悩む宿題の一つ「読書感想文」もヤコ氏にとっては大好物だった。自分の好きなように書ける。私の考えていることや感じていることをそこに込めて人に読んでもらえる。それは書き手である私と読み手である相手の両者だけの対話のようなもの。そこに楽しさを感じた。

 もちろん、読解能力も高かった。小学校時代に通った受験対策塾では、成績によって分けられたクラスのなか、現代文の模試のスコアが四クラス分以上の高得点だった。中学高校に上がっても、文章を書くたびに国語の先生は評価してくれた。琳堂の文章は綺麗だ、と何回も言ってもらえた。それは文章を音として捉えているからなのだけど(小難しい書き方も得意だけど、やはり文章は音の流れが重要だと思う)。

 学校の授業以外でも文章は書いていた。既存のキャラクターやストーリーから連想して創作する、いわゆる二次創作をやってみたり、オリジナルで物語を進めてみたりして遊んだ。それはパソコンに触れ始めた小学校四年生から続けていた。親にそれを読ませたりもしていた。友達も読んでくれて評価をしてくれた。

 

 ここまで書くと、「なんだ褒められてんじゃん」と思われるだろうが、私にとっては違う印象があった。

十分な評価ではない

 これだけ褒められるのに何故だろう。それらを「過小評価だ」と思っていたのか?いや、違う。それ以上に、「他のことが出来ていない」ことに周りがフォーカスしていたと感じていたからなのだ。

 文章を書くのが上手いね、という点では満足する評価をしてもらってきた。しかし、その他(例えば、毎朝ちゃんと起きて忘れ物をせず学校へ行くことなど、周りが淡々と行えるもの)の評価は平均以下だったので、「琳堂は文章を書くのが上手いけれど、やるべきことができていないね」という総合評価が私の自己肯定感を結果的に低めていた。

 文章を書くのが上手いと褒められるたびに、「そうでしょう。だって私は文章を書くのが好きだし得意だもの!でも、当たり前のことができない。文章を書くのが上手くたって、当たり前のことが出来ないんだから何の意味もない」と感じた。

だからこそ、文章力を更に高めようという気持ちよりも、当たり前のことが出来るようにならなきゃという気持ちが先決した。そして初めて文章力も正当に認めてもらえるとどこかで思っていた。とにかく、誉め言葉に後続する低評価をなくしたかった

 

 しかし、まあ当事者である読者なら既に予測がつくだろうが、当たり前のことが出来ないのが発達障害である。できたとしても、それは結構無理をして頑張った結果。周りが難なくできることにも下手したら何倍ものエネルギーを使って、やっとできるレベル。

ヤコ氏の場合は、学力的にも人間力的にも問題はなくむしろ平均より優れていた方なので、頑張って頑張ってやっとできるその「当たり前のこと」も、「よく頑張ったね」どころか「ほら、できるんじゃん」という評価「できるのにやらない」評価だった(ように感じた)。

 出来ないことを指摘されるより、出来ることを褒めてほしかった褒め言葉に後続して低評価をされるより、低評価の後に前者を軽く打ち消すように褒めてほしかった

頑張って頑張って出来たことが、たとえ周りが難なくできることだとしても、認めてほしかった。

 

そういう思いが25歳のヤコ氏の中でまだ拭えない。本当はもっと褒めて欲しかった。それは回数の問題ではなくて、低評価を補うような形で。これは出来るけどこれは出来ないね、ではなく、これは出来ないけど、これは出来るね、という形で。ここでわざわざ説明することもないが、人間は基本的にエンドフォーカスである。字の如く、後から続くものの方が、前に置かれたものよりもフォーカスされる。だからこそ、そのエンドに出来ることを述べて、発言を受ける側のヤコ氏も「出来ること」にフォーカスさせるようにして欲しかった

 

 言うまでもなく、ADHDは「出来ないことは最低限出来るように、出来ることをもっと出来るように」生きるのがベストである。やらなくてもいいことはせず、出来ることを伸ばしてスペシャリストルートを行くのが良しとされることが多い。オールマイティータイプではなく、特化タイプというやつだ。だからこそ、当事者は「自分ができること」にフォーカスを置いて生きる方がやりやすいと感じる。

 発達障害を持つ子どもを持つ親御さん、発達障害当事者を部下に持つ上司の人、また同僚の人、友人の人に言いたい。

発達障害を持っている人間が何もかもダメだと思ってしまう生き方も、何か一つでも優れるものを持っていると思える肯定感の中で生きる生き方も、あなたの評価の仕方にかかっているかも知れない、ということを。

 

 ということで、「あの時褒めてくれたら」というテーマで書いてみたよ。

褒めたら伸びる、叱られたら委縮するADHD(他の障害もなのかな?)なので、当事者を伸ばしたいと思うなら褒める回数を増やしてね、という話でした。

怒りを制御する人はうつになりやすい?

新聞社のニュースサイトを閲覧して回っているときに、「怒りを制御する人はうつになりやすい」という記事を見かけた。

とても興味深かったので私自身を振り返るためにもちょっと書いていきたいと思う。

 

そもそも、人間には基本的に喜怒哀楽というものがある。

その中でも怒りというのはエネルギーが強い。そのエネルギーはどちらかと言えば負のエネルギーなのだが、上手な人はそれを「正」に変えて行動のエネルギーにしている

一方で、負のエネルギーにしたまま己のうちに溜め込んで潰れてしまう人もいる

「怒りを制御する人はうつになりやすい」という話は、この後者のことを言っているのだと思う。

 

怒りというのはそれ自体は悪いことではない。人間として不思議のない反応の一つである。それをどう扱うかで善悪が出てくる。

例えば、怒りをそのままぶちまけて人を散々傷つけるのは、自分の感情をコントロール(管理)できていない未熟な人間ということだし、怒りを一度こらえて理性的に相手にどう感じたか・どうしてほしいかを伝えるのは怒りをコントロールしつつ問題解決をすることができる社会的スキルを持っているということだ。

問題は、この二つの怒りの表現のどちらもしないタイプだ。私のことである。

 

私は温厚な人間・寛容な人間だと胸を張って言える。というのも、そういう自分になろうと絶えず意識して努めてきたからである。そして人からも「寛容だね」と言われることが多い。

心優しく賢明で理性的であること・・・それが私の理想の人間像である。それに敵うために、中学生の頃から常に常に努力してきた。

その根底には、「怒りをそのまま表現する人間は幼稚である」「自分の負の感情を相手にぶつけるなんて未熟な人間のすることである」という強い認識がある

つまり、「怒りを表現する自分」、「負の感情を相手にぶつける自分」というのは、幼稚で未熟だ、という式がここにできあがる。私はそういった点ではプライドが高く、自分に厳しいので、未熟な自分をいかに無くすかということに集中してきた。

その結果の「ヤコちゃんは寛容だね」という評価だった。

 

私が怒りを相手にぶつけない理由は上記の通りだが、負の感情を抑えるというのはとてつもないエネルギーが要る。

先ほども書いた通り、怒りのエネルギーは莫大である。その強さにぶつけるもう一方の「理性」というエネルギーも、それ相応の強さがなければならない

これを己の精神の中で独り行うのだから、怒りのエネルギー+理性のエネルギーが消費されることになる。つまり、「怒りを理性によって制御せず外に放つ人」よりも単純計算で倍疲れるということになる。しかも、私の場合、怒りを十分に発散しないので負のエネルギーは心を痛く傷つけていく。

「怒りを制御する」ことは、エネルギーの要ることである。それは、大人として徐々に身につけていくスキルなのだが、大人は「上手に怒りを伝える」こともできなければならない。でなければ、バランスが悪くなるのである。

怒りを相手に伝えることは、上手にすればなんの問題もない。理性の制御とは、怒りを上手に伝えるときに役立つ。しかし私の場合は、伝えることがほとんどない。全てを制御する。(もちろん伝えるときもあるよ)

なぜそうするかというと、「寛容な私が怒るくらいのことをする相手にもはや何を言っても時間の無駄である」という考えがあるからである。つまり、そういう行動をした時点で私はその人への評価を決めている。(まあみんなそうだよね多分)

ということで、「怒りを伝えない」ことがエネルギー消費の削減に繋がると自分の中で定着しているのだ。無駄に怒るのもエネルギーがいるから。

しかし「怒り」というのは「不快感」ということで、相手に伝えない「不快感」は私の中でそのまま残る。制御できても腹が立つことは立つのである。それを表現しないだけで。

愚痴を話して友人に「怒り」を共感してもらうことは一つの発散方法だが、中学~18歳頃まで、その怒りを愚痴として誰かに伝えることも自己評価の低下に繋がっていたのでしなかった。つまり、人に話しているときに、「こんなことで怒っているなんて私は幼稚で不寛容な人間だ」と自覚してきて嫌になるのである。

ここでの問題は、「怒って当然」という考えが抜けていたことである。私の中では、全ての幼稚な人間(怒りをそのまま人にぶつける人間・私の中に怒りを発生させるような人間)から広く差を持つことで一定の自己評価を持っていたから、「怒る」ということはその幼稚な人間と近づくことだと思い込んでいたのである。小学生の言うことにいちいち大人は腹を立てず相手にしない、というような意味で。

 

そんなこんなで、私は物凄いエネルギーを消費していた。

理想の式は、

「怒りのエネルギー」+「理性の制御のエネルギー」-「怒り認めること」-「ストレス発散」

なのだが、私は長らく、

「怒りのエネルギー」+「理性の制御のエネルギー」

のみでやってきたのである。だからこそ、対人関係では莫大なエネルギー消費が起こってしまったのである。回復薬ナシ!

 

そう考えてみると、「怒りを制御する人はうつになりやすい」というのも頷ける。

現に、私も学生時代は怒りを制御しすぎて何度も潰れていた。他者に対する自分の怒りを認めてこなかったからである。

今思えば、「無理ばっかりしてたなあ」とも思うのだが、まあ、気づけて良かったし、この「無理」のおかげで寛容さはかなり鍛えられたので、あとはバランスをうまくとるだけなのだ。これからは変わるぞ、という考えで生きていきたいと思う。

我慢するだけではなく大人のやり方で怒りを表現すること、自分の中の怒りを認めること。それが私の目標だ。制御はもう得意中の得意だからね(笑)

私の「生き直し計画」の一つです。これから上手くなっていけるといいな。

障がい者施設での殺人に対するコメントに対するコメント

タイトルが長い。長いけどそういうことを話したい。

 

今月26日の午前二時過ぎ、障がい者施設で悲惨な殺人事件が起きたのはもう沢山の人がニュースで聞いていることだと思う。

headlines.yahoo.co.jp

 

事件について、私はこういったニュースを深読みする知識や経験もなければ、自分の手に負えるほどの規模の思考対象でもないと思っているので、記事に書けるほどの考えはない。

私は今回書くのは、この事件に対しての精神疾患発達障害界隈の反応だ。

代表的な反応に番号を振って、後にそれらに対する私の意見感想を書いていきたいと思う。

 

1.この殺人事件の犯人は、「障がい者がいなくなればいいと思った」などと犯人が供述しているとされ、それに対して発達障害当事者がなんとも言えない不快感や戸惑いや気負い、あるいは憤りを持っている。

2.そして、とある人たちが「こんなに大量殺人を行うなんて、犯人は精神疾患だ」とコメントするのを読んで、精神疾患当事者が怒る。「都合の悪いことは全部こちら側に投げ捨てるの?」という怒りだ。

 

そのどちらをも読みながら、私はなんとも言えない冷めた心でいた。冷めたというより、平常心と言う方が人間味があるけれど。

 

3.障害当事者の安楽死をどう思うか、死んだ方がいいと思うか、などというTwitterアンケートもRTで回ってくるようになり、「一体Twitterで聞いて何になるんだか」という感じ、「アンケート作った時点で半ば満足しているだろうな」という先入観が私のなかにあるのが否めないが、炎上するほど盛り上がったのは間違いない。

4.福祉・介護職・障がい者を持つ家族界隈では「安楽死」というよりも「殺したくなる気持ちはわかる」という言葉も出てくる。そしてそれに傷つく当事者。

 

さて、それぞれに私が思うことを書いていく。

1.今回私が言いたいことの一つは、当事者は「徹底して心を守れ」ということである。

事件の報道だけでもどこか傷つく人は、事件に関する一切の情報を遮断するのをお薦めする。知ったところで、自分は傷つくし、知らなかったら損をするということは全くない。

Twitterでよく事件に関連することをRTで回してくるユーザーは、RTを非表示にしておけば特に問題ない。本人もよくツイートするならば、一定期間その人をミュートするのも大いに結構だと思う。

 

2.そして、精神疾患の一部の方が抱く憤りを私なりにたしなめたいと思う。

そもそも「精神疾患」というのは千差万別であり、一概には言えないものである。犯人は「精神疾患」かもしれない。だからといって、「我々の領域に」などと考えなくてもいい。

確かに、理解のあまり深くない人たちにとって「精神疾患=加害者・危ないやつ」という式ができるかもしれない。だがそんなものは今更。理解が深くない人の考えをわざわざこちらがあげつらって批判するのも時間と気力の無駄である。啓蒙して回るならまだ分かるけど。

だったら黙っていればいいの?と言えば、そうである。黙っていればいい。もしくは、「私は精神疾患当事者だが、それ(犯行)を受け入れないほどにはしっかりとした分別がある」と言っておく・思っておくことで十分だと私は思っている。

人は簡単に自分の中の印象を変えられることがある。それは、精神疾患当事者の一人一人の姿から始まると思う。事実がどうあれ悪い例がこの事件であるが、良い例を作れるのも我々だということも覚えておきたい。

 

まとめると、精神疾患にも様々あり、全ての精神疾患当事者が酷い加害攻撃を人に加えるということもなく、少なくとも私はそういうことに関して分別がある」という態度を自分に対しても他人に対しても持つ、ということが私にはベストに思えるのである。

 

 

3.「障がい者は死ぬべきか」「障がい者安楽死はどうあるべきか」というアンケートに関しては、結構ダメージを食らった人も多いのではないかと思う。

なぜならば、どちらのアンケートも「死ぬこと」を前提にしているからである。頭ではそう捉えていなくても、心はそれを感じている人も少なくないことかと推察する。

私はこういう議論的なテーマでのアンケートがとても好きじゃない。質の良い答えを出すには質の良い問いと質の良い議論者が揃わなければならない。アンケートはただ誰にでも彼にでも「どうおもう?」と聞きまわり、考えてる人も考えてない人も、感情的な人も理性的な人も参加するのであって、問いに対する真っ当な答えは出にくいだろうと思う。つまり、アンケート結果に一喜一憂することはないということだ。そんなもん、質が悪いんだから信用もしなくていいのだ。

 

大体、人が死ぬべきかどうかを他人が考えるだなんてセンスの欠片もない。他人の命は他人が決めるものである。生きていて幸せなんだろうか、なんて他人が考えるなんてこともナンセンスである。幸福とは自分自身が決めることであるからだ。例えどんな障害を持っていようと本人が生きていて喜びを感じるならば幸福はあるし、例えどんな障害がなくても本人が生きていて喜びを感じず不幸だと思うならそれはその人の中では不幸だ。

 

私は趣味で文通をしているが、昔とある人からの手紙で「知的障害の方は生きていて幸せなのでしょうか」「姉は、障がい者はいいよね、人の税金使ってばっかりでさ、などと言います」というので、さすがの私も頭の悪さに辟易した記憶がある。

前者の幸せがどうかは上記の通りの考えのもと、「他人様が幸せかどうかなんてジャッジしてんじゃねえぞ何様だ」と思うし、後者に至っては「お前も公道走ってんだろ公共機関使ってんだろ」と思うわけだ。後者の場合、その人の考えは大体こうである。

「私はこんなに頑張って日々働いて税金を納めて真っ当に生きているのにその税金は私よりも楽な生活をしている障がい者に充てられる。不愉快だ」ということである。つまり、八つ当たりなのである。少し考えれば、国の保証は国民保健も同様、相互扶助(お互いにお互いを支えあうような意味)で成り立っていることが分かる。そして基本的人権という、「人間として産まれたからにはその人の人格を尊重する」というルールがある。人権とは、「人としての権利」である。このルールは個人個人がその権利を享受し、尚且つそれが守られるように、自分だけではなく他人にもその権利を認めることで成り立っている。

 

つまり、「障がい者なんていなくなればいい」というのも、人権を否定することにつながるし(自分の幸福の権利しか認めていない)障がい者は生きていて幸せなのか」という問いも、「私は障がい者は生きてて幸せじゃないと思う」という勝手な妄想と思い込みから生じているもので、相手をするに足りないものなのである。なんとなく伝わったかしらん。

 

4.介護職・福祉職・また障がい者家族を持つ人たちが、「死んだらいいのに」と思うことについては、これも全く個人的な感想なので当事者がとやかく言うことではない。愚痴なのだ。大体の人は理性が働き、「いま私は疲れてるんだ、この仕事は大変だなあ」と思い直す。当事者はそこをよく覚えておくといい。

今回の事件の犯人と、介護・福祉職に就いている人たちの愚痴と、文面が一緒(「死んだらいいのに」)だとしても、大きな違いがある。愚痴か、それとも信念か、という点である。

 

そして昨今言われてきているように、介護職・福祉職・障害を持つ家族を持つことは部外者が想像する以上に重い仕事であると思う。その人たちがいつも「この仕事は生きがいです!みなさんのお役に立ててうれしい!」などと爽やかに笑うなんて、ありえないことである。私は在宅で祖父の介護を簡単にしたことがあるのだが、自分の時間をとられること・自分のタイミングではないタイミングで対応しなければならないことは、いくら簡単なものでも精神にはキツい。それに加えて痴呆があったとすれば、正常な意思疎通も難しいので更に精神的負担があったことだろうと思う。(幸い祖父はひどい痴呆がなかった)。意思の疎通がうまく行かない相手とのやりとりは結構なストレスである。

まあつまり、「仕事の愚痴くらい見逃してやれ」というのが私の意見である。その人たちを否定するのではなく、その人たちの負担をいかに分散させるかを考えていくことが話の展開に繋がるのは、私が言わなくてもみなさんご存知のことだろう。

 

 

さて、最後にここで少し私が感じたことを述べておきたい。ただの感想である。

先日のFNNニュースの記事で興味深いものがあった。今回の事件をうけて、障害を持つ側・親族がどう思っているかということが少し取り上げられていたのだ。

www.fnn-news.com

この映像の中で、献花台を前にオイオイと泣いている一人の知的障害当事者がいる。行き場のない悲しみや怒りが叫びとなっている。

障がい者がいればみんな不幸になる」という犯人の主張は、ただ単に自分が「障がい者がいると大変だし俺は不幸だ」と言うのを極度に一般化しただけである。「障がい者」が死ぬ(殺される)ことで、こういった施設で無残な殺人が行われることで、こんなにも悲しむ人がいる。犠牲者たちを見知らぬ私も心が痛んだ。誰かがいなくなったらみんながみんな喜ぶなんてことはあり得ないと私は感じている。(だいたい、”みんな”って誰だよ

 

 

長くなったのでここまでをまとめると、

1.事件に関するニュースや意見を見ると気分が悪くなったり不安定になる人は情報を避けること。RT非表示やミュートなどを使うこと。

2.発達障害精神障害当事者は、犯人とは違ってわたしは分別があるという態度をもって当事者外の人たちの意見を冷静に読むこと(その意見は感情から来たものかどうか・その意見は偏っていないか etc...)

3.質の良い答えは質の良い質問と質の良い議論者・回答者がいて初めて生まれるからこそ、質問と回答者の質が高くないアンケートの結果に一喜一憂しないこと

4.幸せかどうかを決めるのは自分自身。そして他人が幸せか不幸かを決める権利は誰にもない

5.その思い・意見は「愚痴」なのかどうかを見極める

6.「誰かがいたらみんな不幸になる」「誰かがいなくなったらみんな喜ぶ」という意見の大半は「誰かがいたら俺が不幸になる」「誰かがいなくなったら俺が喜ぶ」という意見から来た極論である

 

 

障がい者精神疾患当事者も生きてていいのよ。惑わされないでね。大丈夫よ。理性的な人や味方の人は思うほど少なくないのよ。大丈夫よ。

ADHDで双極性障害が3日間で15時間働いた感想

お姉さんたちが働く高級クラブを辞めてから約二週間後、私は働いていない自分や働かずに過ぎていく日々に耐え切れなくなり、近所のペットショップに面接を受けに行った。

まずは研修期間として三日間働いた感想を書いていきたいと思う。

 

  1. 働くまで
  2. 人と接する仕事に就いてきた理由
  3. ADHDの傾向性と接客・人間関係について
  4. 研修一日目
  5. 研修二日目
  6. 研修三日目

 

1.働くまでのこと

アルバイト先を決めるときに絶対条件として頭に浮かんだのは、まず、「通勤が苦にならない」ということ。つまり自宅から近いということだ。

或る体調がほどほどに良い日、わたしは運動がてら近所を歩き、パートやアルバイトを募集しているところがないか捜し歩いた。

自宅から徒歩30分圏内を歩き回った結果、6~7つのお店が求人の張り紙をしていた。ラーメン屋、チェーンの飲食店、雑貨屋などなど。

そこで私が気になったのはペットショップの求人だった。

 

2.人と接する仕事に就いてきた理由

以前、ここで私のアルバイト経歴をおおざっぱに紹介したが、私はずっと接客業・サービス業・営業の仕事やってきた。

lyndohyako.hatenablog.com

飲食店からキャバクラから塾講師まで、一貫しているのは「人と接する仕事」だということ。

私はその仕事の傾向に自分が合っていると思った。

しかし最近思うのは、それは「合っている」というよりも、私がそれに対して「技術を持っている」だけなのではないかということだ。つまり、相性が良いというより、接客スキルが磨かれているだけなのではないか、ということ。

 

3.ADHDの傾向性と接客・人間関係について

ADHDは、「人の話を聞かない(集中できない)」、「衝動的に言葉を口にして相手を困惑させたり傷つけたりする」、「絶え間なくしゃべり続ける」などが、人間関係での障害になることがある。

私は「人の話に集中できない」「衝動的に言葉を口にする」「絶え間なくしゃべり続ける」の傾向性は持っているが、それを制御するスキルを身につけている。

「なんだ、制御できるんだからヤコ氏のADHDは軽いもんなんじゃないの?」と言われれば否定はしない。だが、制御するのにはそれだけ傷つく経験と反省する経験と考え抜く経験と忍耐強い習慣付けが伴うことをここで主張したい。

 

「人の話に集中できない」と、その話し手は己を軽んじられ人格を傷つけられたような気持ちになる。

「衝動的に言葉を口にする」と、聞いた人が傷ついたり、理解ができず不快感を覚えるかもしれない。

「絶え間なくしゃべり続ける」と、聞いていなければならない人は疲れてしまう。

 

どの傾向性も、人を傷つけかねない。そして人間は、傷ついたとき・傷つけられたと感じたときに、防御態勢威嚇態勢攻撃態勢のいずれかに入る。その不快感をこれ以上受けないようにするためである。これは誰しもがそうだと思う。

防御態勢に人が入るとき、その人は傷つけてきた(と感じた)相手から距離をとる。その場で話を切り上げたり、反応が少し引いたような感じになる。

威嚇態勢に人が入るとき、その人はまず顔や目つきが鋭くなる。それから、言葉がそっけなくなったり、語気が強くなったり、反応を冷たい一言で済ませたりする。

攻撃態勢に人が入るとき、その人は相手を批難したり、憎んだり、恨んだり、呆れたり、そういった態度を相手に示す。

そしてそのどれもが人間として不思議のない行動であり、反応自体には理不尽さがない。自分を害するものから離れること・それをなくすことは本能的に当たり前の行動であると私は思う。

 

そしてADHD傾向による人間関係の問題は、こういった人々の反応で学ぶ。一つ一つ、その言葉がどういう風に相手に響くのか、自分の態度が相手にとってどんな風に見えるのか、そういったことを一つ一つ経験していく。

もちろん、相手の機嫌を損ねるだけでなく、ADHD側もその反応に傷ついたり反省したり悔いたりする。それも不快感の1つである。

私はそういった不快感を最小限にするために、中学生の頃から考え抜いた。周りの人たちがどう感じ何を思い何をどう考えているかを読み取る能力をずば抜けて磨いた(自惚れではなく、これができるのは頭の回転が良かったからかもしれないと思っている)。

結果、私は人間にとても好かれる。交友関係は広い。会いたいと言ってくれる人が沢山いる。人と楽しく交流するのに喜びを覚える。

 

ADHD傾向は、悪い面だけではなく、良い面もある。

例えば、その衝動性を「笑い」に変えることができる。パッと冗談を言って相手を笑わせることもできる。

絶え間なくしゃべり続けることも、場をわきまえるスキル・話を魅力的に見せる話術・相手の反応を細かに見極めるスキルがつけば、「雄弁家」「話し上手」になることができる。

ADHD傾向も、経験や技術を持てば好転することがいくらでもあると私は思っている。だから私は沢山傷ついてきて良かったと思っている。それが人間関係における自分のやり方を考えるきっかけになってきたと思っているから。

 

そして、それが私の接客スキルに直結していった。

人の需要が分かる(何をしてほしいかが分かる)、人を喜ばせる話し方ができる、愛想が良い。これだけで接客業はなんとかなってしまう。

人間関係のスキルを磨きぬいた私は、接客業スキルを持った。しかしそれを、スキルではなく自分がもともと持っている傾向として得意なのだと思い込んでいたのである。

 

書いてきた通り、私は「先天的障害」を「後天的スキル」で補ってきた。前述した通り、それは自分の元々の傾向性を制御すること、コントロールすることである。これにはやはり、「集中力」と「忍耐力」が要る。コツを掴んで最小限のエネルギーにしても、やはり疲れることは疲れる。そういったコントロールに消費されるエネルギーをプライベートでも仕事でも使っていると、当然ながら疲れ果てる。私はよく疲れ切ってしまって不登校になったり大学を休んだりしていた(仕事は基本的に休みたくない人)。

人間が嫌になる。私のエネルギーを持っていく人間存在が嫌になってくる。

営業職に就いている人には「あるある」だと思うが、プライベートまで「営業職」でいたくないのである。

私は長らく、自分の対人関係スキルを売りにしていたから、それを活かす接客業にこだわっていたところがある。しかしそれは、わざわざエネルギーを大量消費する仕事を選んできてしまったということでもある。

 

長々と書いたが、そういうことで、私は「人間相手の仕事」をしないことでエネルギー消費を抑えようと思ったわけだ。特に、うつ病で総合エネルギーが低い状態なのだから、これはかなり自分のためになる決断だったと私は思う。

ペットショップはもちろん「ショップ」なので接客はするが、仕事のほとんどは生き物の管理である。私はかなり忙しい生き物の担当になったので、仕事の8割がその生態管理で埋まる。私が仏頂面だろうと喋らなかろうと一向に気にせずにいる生き物たちは、私のエネルギーを人間よりずっとずっと最小限で済ませてくれる。英断だったと私は思う。

 

4.研修一日目

面接を受けその場で即決採用となった私は翌週さっそく出勤することになった。時間は午前中から16時まで。まずは総計50時間の研修期間が始まった。

 

面接時に、店長はちょっと考えた後に、「社員になりたいと今の時点で思いますか?」と尋ねてきた。思ってもない言葉に私は思わず「それに値する人間かは分かりませんが・・・」と答えた。うつ病になってから、面接が得意な私が弱くなっていたのを感じた。正社員の待遇について一通り説明を受けたあと、「どうするか、今の気持ちでいいですよ。それによって研修内容が違うので」というようなことを言われ、面接ということを思い出し慌てて「よろしくお願いします」と伝えた。チャンスや可能性は広くとっておくに越したことはない。

 

そしていざ出勤。

ここで失敗したのが、何を思ったか私はヒールで出勤してしまった。どう考えても運動靴の方が適する仕事なのに、何も考えないで来てしまった。一体何を考えていたんだろうと何度も思い返しても疑問に思う。 

もちろん、一日目ということで何もわからない状態である。とりあえず、服装や注意事項のプリントを貰っていただけで、仕事内容や流れについては知らない。

「新人さんは清掃から始まるから」との店長の言葉で、「じゃあまずは清掃の質と速さを極めていこう」と思った。

とはいえ、ペットショップなのだから床や備品の清掃だけということにはいかない。担当の生き物の清掃をしている先輩方をお手伝いする。魚類爬虫類は環境の変化に弱いものも少なくないので細心の注意を払って清掃したりする。水槽から水槽に移るときも、病気の個体がいる場所は一番最後に清掃するなど、順番というものがある。それを逐一先輩に教えてもらいながら、脚立に乗り、大きな水槽に手を突っ込んで洗う。最近はずっと「体よりも頭を使う仕事」に就いてきた私にとっては結構な体力仕事だった。

店長も面接時に、「うちの仕事は思ったよりも体力仕事だから、ペットショップの仕事のイメージと違いすぎて一日でばっくれる人もいる、だから先ずは一日仕事をしてみてからまた答えを聞かせて」と言っていたくらいなのだから、私だけではなく他の人も「思ったより体力仕事じゃん」と感じたのだと思う。

私はもちろん、ペットショップの仕事は生き物と戯れられるなんていう妄想をしていなかったので簡単に受け入れられた。むしろ、忙しい中あっという間に時間が経つ仕事にはとても好印象を持つ。ひま疲れが一番精神をやられる。

そんなこんなで一日目は無事に終了。なんと喫煙所もあってマルボロ命の私にとっては最高の環境だった。

 

私に仕事を教えてくれた女性社員は、作ったような笑い方をする人で、私はすぐに「この人は人間があまり得意じゃない、良い意味でも悪い意味でもプライドが高い」と分かった。笑い方・しゃべり方でその人の性格は7割分かると私は思う。

こう書くとその女性社員の印象が悪くなりそうなので補足しておくが、その人はとても仕事が早く、教え方も上手で、休み時間もちゃんと雑談を投げかけてくれるような、頼れる良い人だ。私は仕事ができる人がとても好きである。

 

退勤時、店長といろいろ話していると、「もっと仕事の希望を伝えたほうが良い」というようなことを言われた。

思えば私は、「与えられた仕事を質良くこなし、改善していく」ことが得意で、上司の要望や期待に応えるのが大好きだった。だからこそ上司の手腕で私は生きも死にもする。上司が要になっているのだ。悪ければ、体調も崩す。良ければ、即戦力としてかなりの力を発揮する。

それを見抜いたのか見抜かずか、店長は「もっと要望を言え」と私の言ったのだった。人の要望に応えるのではなく、自分の要望を相手に告げよ、ということだ。これは私にとって、はっとさせられたことだった。自分の要望を言うということは私にとって一番やりづらいことだというのが、店長に伝わったのかもしれない。

ということで、先ずは週3で一日おきに働きたいということを告げ、最大17:30までの勤務にしてほしいと言った。その気持ちを引き出してくれた店長には感謝している。

 

5.研修二日目

ちゃんと運動靴をはいて出勤すると、店長が煙草を吸っていた。「おはようございます!」と努めて爽やかに挨拶をする。朝に爽やかな挨拶をされるというのはとても心地が良いものだ。心地の良い人に、人は好印象を抱き、よくしてやりたくなる。だから爽やかな挨拶というのは重要だ。

「おはよう」と返してくれた店長は、「どうだった、昨日は」と笑いながら話しかけてくれた。私は正直に「足がとても痛くて・・・できればしばらく16時までの勤務にさせていただきたいのですが」と伝えた。自分の要望を伝える練習である。店長は快くOKしてくれて、この日の仕事も16時までになった。ゆっくり、でいいのだ。

二日目は、一日目に覚えたことを少しうまくできるようになることを目標にした。

この日も無事に勤務終了。通勤を徒歩ではなくバスに変え、体力温存を図ったのが良かったと感じる。

 

5.研修三日目

今日を終えれば休みだと自分を奮わせ出勤。同い年のメンバーがいると話に聞いていたのだが、その子と顔を合わせることができた。

休憩時に、「同い年だから敬語やめよう、下の名前なんて言うの?」と親し気に話しかけてくれたのはとてもありがたかった。これだけで職場に身を落ち着けることができる。仕事で私が一番気にするのは、職場環境、特に人間関係だ。人間関係の良好な職場ではどんなに大変な仕事でもなんとなくできてしまうし、反対に、人間関係の劣悪な職場ではどんなに簡単な仕事でも、いやむしろ出勤すら苦痛で大変なことになってしまう。

 

三日目は生態管理について少し幅広く学んだ。生き物によって扱い方が異なることを学び、接客に関することも先輩の姿を見て学んだ。生き物を引き渡すときにどうするのか、商品はどの棚にあるのか、など、初日や二日目よりも学ぶことは多かったように思う。

職場の人とは休憩時間によく喋ることができ、少しずつ受け入れてもらえている印象を受けた。こうして関係がうまく築かれれば、仕事もよく教えてもらえるし、ミスにもあたたかく応じてもらえるし、なにより私という人間の居場所が確保される。

新しい仕事を覚える他にも、こうして人間関係を良好にしておくというのも仕事の一つであると私は思っている。それは自分のためなのだ。

 

大体、このような感じで三日間が過ぎた。

体は痛いしアザはできるし水浸しになるし汗をかくし、正直大変な仕事だけれど、店長は親身になってくれるし、社員さんは仕事ができて生き物にとても愛情深い人だし、ほかのメンバーも基本的に愛想が良い。とても良いところに来れたと今は思っている。

そう母に伝えると、「あんたはいっつも最初はそう言う」と言われたが、私は悪いことではないと思っている。職場に対する親しみや情が生まれないと、仕事は長く続けられない。私は割り切れない人間の傾向があるから。とりあえず今は、良い印象を持っておく方がメンタル面にも良いのだ。

主治医に処方してもらった漢方を度々飲みながら過ごす三日間はとても安定していた。

こうして少しずつ社会復帰ができればいいなと思っている。

私が死ぬまでにしておきたいいくつかのこと

Twitterを介して友人となり、たまにLINEや文通のやりとりまでする仲のよそちゃんがこんな記事を書いていた。yosonono.hatenablog.com

とても女の子らしく、どこか切なさを覚えるその内容に触発されて、私も「死ぬまでにやりたいこと」を書いていこうかと思う。

  1. ドイツに行きたい
  2. 本を出版したい
  3. 人に「あなたがいてくれてよかった」と言われたい
  4. 孫を抱きたい
  5. 写真集を出したい
  6. 映画の撮影場所をめぐりたい
  7. やりがいのある仕事を「やりきった」と感じたい

大体こんな感じ。

ではひとつひとつ、書いていこうと思う。

 

1.ドイツに行きたい

前回の記事でも書いたが、私はドイツという国を父のように感じている。

実は海外旅行の経験も無く、大学時代は金銭的な理由で留学もできなかった。

勉強ができなくてもいい、滞在期間が短くてもいいから、一度ドイツへ行って、自分のあこがれた地の土を踏みしめたいと思っている。

 

2.本を出版したい

これは長年思ってきたこと。自費出版でもいいから本が出したい。

内容は、小説か、もしくは発達障害精神疾患の当事者として何かしらを記録したものを書いてみたい。

今年の11月に東京で文学フリマというイベントがある。

http://bunfree.net/

簡単に言えば書籍の即売会だ。それぞれのサークルが各々のスペースで自分たちの書いた本を売っている。小説から文芸批評からライトノベルまで様々なジャンルに渡っており、本好きにはたまらないイベントとなっている。

今年5月に東京で開催された文学フリマに行ったとき、数冊の本を買った。それを読んでいて思ったのが、自費出版がほとんどだったということ。そして内容も、正直言って、それほどでもなかった(ごめんなさい)。

これくらいのハードルなら気軽に私も本が書けるかもしれないと思って、いま友人と共同出版の計画が進んでいる。お互いに小説を書いて一つの本にしてしまおうという計画だ。うまくいけば、私の「死ぬまでにしたいことリスト」がひとつ達成されることになる。今から楽しみである。

 

3.人に「あなたがいてくれてよかった」と言われたい

文字通りの意味である。

私は人に感謝されるのが好きだ。まあ、ほとんどの人がそうであると思う。

「あなたがいてくれてよかった」と言われたことは、はっきり言って結構多い。人の助けになることを考えて親身に行動してきた自覚がある。

この、「あなたがいてくれてよかった」という言葉には不思議な力がある。その言葉を受けただけで、不思議と活力が湧いてくるのだ。

エネルギーというのは、喜怒哀楽どれにも宿るものだと私は思っている。

その中でも喜びと楽しみのエネルギーというのは心身ともに健康的である。

「あなたがいてくれてよかった」には、その喜びが強く宿っている。だからこそ、活力がそこから生まれるのだ。そして、活力と幸福感とがじわりと心を潤す。

この幸福感を、死ぬまでにできるだけ味わいたい。死ぬ前に言われたい。

「死ぬまでにやりたいことリスト」に入れるのは、「自分は人のためになれた」という実感をたくさん思いつける積み重ねをしていきたいと思うゆえである。

 

4.孫を抱きたい

よく驚かれるのだが、私には2歳になる娘がいる。

その娘が小学校へ行って、中学校へ行って、高校へ行って、自分の好きな進路に向かって、社会で自分なりに活躍し、素敵な人を見つけて、というその過程を見ていたい。

もちろん、強制するつもりはない。ただの想像であって、娘が納得して自分なりにやりがいを感じながら人生を進めるならば、正直なんでもいい(笑)

そんななかで、ひとつ妄想をするならば、孫ができたら可愛いだろうなということ。

自分が産んだ子からまた子が産まれ、私の大切な家族は増えていく。その幸せを、孫を抱くことで感じられると嬉しいな、ということでリストの中に入れたまでである。

 

5.写真集を出したい

正直言って、私は容姿に恵まれた。完璧な美形とまではいかないものの、男性から良い話をもらわない時期がほとんどないし、女性にはこの顔に嫉妬されることすら珍しくない(最近肌荒れで萎えてるけど)。

でもそれも若いうちだけ。私はどんどん老けていって、しわが増えて、筋肉も落ちてしまうかもしれない。それはそれで、歳相応の人間的美しさがあればいいとは思うのだが、若いうちだけしかないハリのある自分を写真に収めておきたいと思うのだ。それも、ちゃんとヘアセットをしてコンセプトを決めて、作品のようにしたいのだ。

別に売りたいというわけではない。自分の手元に、アルバムのようにして残しておきたいのだ。「死ぬまでに」というよりも、「老いる」前にという感じかな。

ふと思うのは、私は金銭的理由で成人式の着物を着ることができなかった。同級生がわいわいと着物はあれかこれかとか話していたり、前撮りの写真を見せ合っていたりするのを横目に、羨ましくないフリをしていたのが、こういう願望に少なからず繋がっているかもしれない。余談だが、娘の七五三で私も思いっきり素敵な格好で一緒に写ろうと思っている(笑)

 

6.映画の撮影場所をめぐりたい

Twitterでも書いていることだが、私は映画が大好きである。

映画館に立ち寄ってはチラシを持ち帰り眺めて劇場へ観に行ったり、TSUTAYAにあしげく通ってはDVDの山をレジに持っていく。なかでもホラー映画はロマンの塊である。あ、いわゆる「グロい」から好きなのではない。その点を話すと私は特殊メイク担当の人間で映画を観たりする。

で、まあそうやって映画を観まくっていると、当然、大好きな作品というものが増えていく。そういった作品のロケ地を回りたいのだ。

好きな映画のなかには1930年代~60年代のものもあるので全てを観に行くことは叶わないだろうが、せめて80~2010年代のものはめぐってみたいと思っている。

非現実として目にしていたものを、現実に持ってくるのだ。なんてロマンのあることだろう。「死ぬまでに」は経験してみたいことである。

 

7.やりがいのある仕事を「やりきった」と感じたい

なんとも漠然としている。が、私は仕事人間タイプなので「仕事をする」ということに大変充実感を持つ。どうせ人生の大半を仕事と睡眠が埋め尽くすならば、やりがいのある仕事と質の良い睡眠をとれば人生の大半は充実するのではないか(もちろん家庭が大きくそれを左右することは承知で、単純計算として話した)。

わたしは基本的に、勝手にやりがいを見つけてくる人間なので、ここでは特に具体的職業を指定しなかった。興味が移りやすいというのもある。

ということで、やりがいのある仕事で「やりきった」という満足感を得て、自分の人生に納得してから死にたいのだ。何かをやり遂げるということは人生の満足度と自己肯定感をくれる。

 

 

なんだかカッコいいことばかり書いてしまった感じはあるが、私が「死ぬまでにしたいこと」は大体上記の通りである。

ここまで書いていて思ったのは、私は「死ぬまでにしたい」というよりも、「人生を充実させたい」と無意識に思いながらリストアップしていたのではないか、ということである。

「死ぬ」ということは、人生が完結することである。その完結の際に、素敵な物語になるようにしたいのではないだろうかと自分に思う。

つまり、私の「死ぬ前にしておきたいリスト」は、「人生が完結する前にしておきたいことリスト」であって、もちろんそれは素敵な完結にしたいということだから、「人生をハッピーエンドにするためのリスト」なのではないだろうか、と思ったのである。

鬱状態ではなかなかこんなことも思えないが、「幸せになりたい」という思いは鬱でも通常でも同じことである。なるべく早く鬱から解放されて、このリストを消化できるよう生きていきたいものである。

死に場所

七月初め、うつ病が急に悪化して何もできなくなった。

実は六月にいろいろと精神的負担が大きいイベントがあって、そのしわ寄せが来たようだった。原因が分かったところでどうしようもないので急いで主治医の診察を受けると、漢方を処方された。

それを飲み続け、たっぷり寝て、趣味の映画鑑賞をして過ごし、やっと少し回復して動けるようになった。

この期間、まあありきたりだが、「死にたい」とずっと思っていた。

「生きていて恥ずかしくないの」と脳内でもう一人の私がずっと囁いていた。正体はうつ病なんだけれど。

 

今回書こうと思うのは、「死に場所」について。

先に言ってしまうと、私はドイツで死にたい

もっと細かく言うと、ドイツのフランクフルト・アム・マインで死にたい

これは私の生きる希望のようなもので、目的のようなもの

じゃ、それはどうしてか。

 

私の一番好きな作家に、ドイツの文豪ゲーテがいる。

『若きウェルテルの悩み』や『色彩論』戯曲『ファウスト』などでも広く知られてる彼との出会いは、高校を中退した17歳のときだった。

学校は辞めたけど勉強はしていたかった私は、新聞を読み始め、同時に素敵なもの探しを始めた。

素敵なもの探しというのは、自分の心が豊かになるもの。私はこれを「教養」と呼びたい。教養とは、人生を豊かに味わい深くするもの。ヘルマン・ヘッセもそんなようなことを言っていたと思う。

素敵なもの探しのため、私はまず「元気が出るノート」を作り始めた。心を打たれた言葉や思想を抜粋してノートに書き込むのだ。そのノートを見るだけで私は広く豊かな世界へアクセスできる。

そして、その探す先の一つが文学だった。

文学と一言に言っても、世の中たくさんのジャンルの本がある。

小学校から高校までは乱読していたけれど、図書室という環境から離れたためになかなかそれもできなかったから、とりあえず私は「名作」と呼ばれるものに触れていこうと思った。その中の一つがゲーテの『若きウェルテルの悩み』だったのである。

著名すぎる名著(つまりすごい本)なので内容に関しては割愛するが、作中の青年ウェルテルの恋煩いは当時の私の十代の多感な感性を物凄く震わせた。

 

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

 

 

もう一つ、新潮文庫から出ている『ゲーテ詩集』というものがある。高橋健二の翻訳が日本語として大変美しいので17歳からの愛読書として今も本棚に大切にしまってある。(一時期は毎日持ち歩いていていくつか暗唱もした)

高橋健二ヘルマン・ヘッセ著作も翻訳もしていて、ヘッセ本人と対話したこともあるというのをどこかで読んだ気がする。

 

ゲーテ格言集(新潮文庫)

ゲーテ格言集(新潮文庫)

 

 

さて、本題に戻るが、そのゲーテの生家があるのがフランクフルト・アム・マインなのである。

もちろんゲーテだけではなくヘッセも、私がその道徳哲学を深く尊敬しているイマニュエル・カントや知性論が好ましいアルトゥル・ショーペンハウアーもドイツ人であり、ドイツの知性は十代の私を育て上げたのである。日本が母国、ドイツが父国といった感覚だ。

 

というわけで、私はフランクフルト・アム・マインで死にたい。

どうせ死ぬならば、ゲーテの生きたフランクフルト・アム・マインで死にたい。

母国で産まれ、父国で死にたい。だから、ここで死ぬのは不服だ。

 

これが私の生きる希望の一つであり、目的である。

だから、まだ死にたくない。