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琳堂ヤコのHell's Drive

ADHDで躁鬱で教養あるけど生活力ない人

ヤコ氏のアルバイト経歴

バイトの面接を入れてきた。

TwitterのTLで就活をしている人やバイトに関して悩んでいる人が割といるので、何かの参考になるといいなと願いつつ、ADHDな私が経験してきたアルバイトについて書いていきたいと思う。

 

まず、ヤコ氏は高校を1年で中退して、フリーターになった。

大学は行くつもりだった。まずは高校卒業程度認定試験(高認)というものに受からなくてはならない。過去問だけしてればいいや。でもそれにだってお金はかかるし、時間があるから働きたい。

そうしてアルバイト経歴が始まるのである。正社員はまた別の機会に。

 

  1. 中華料理店(個人経営・ホール)
  2. 回らないお寿司屋さん(チェーン店・ホール)
  3. 歯科診療所(歯科アシスタント)
  4. コンビニ
  5. 塾講師(1)
  6. キャバクラ
  7. 塾講師(2)

大体こんな感じでアルバイトを経験してきた。

ひとつひとつ、思い出や楽しかったこと大変だったことを書いていこう。

 

1.中華料理店(個人経営・ホール)

母の友人の娘さんは私より2つ上のお姉さんだった。その人の紹介で働き始めた。

当時は中学3年~高校1年だったか、たぶん高校生だったような

 初めてのアルバイトだったが店長がお気楽なオッサンだったので特に支障なく働けたし、業務も簡単だった。おっさんの下ネタ攻撃が一番辛かったかな。

個人経営のお店は一人一人の従業員の距離が近いようにいまは感じる。でも出勤頻度が低かったので大して仲良くもならなかった。

閉店のため退職。あんまり働いた感はなかった。

 

2.回らないお寿司屋さん(チェーン店・ホール)

中華料理屋が閉店してしまったので、電車で数駅走ったところにあるショッピングモール内で経営されていたお寿司屋さんのバイトを始めた。この時には高校を中退していたから、時間も結構あったかな。だから週3~4は働いていたと思う。

ここでは4つ年上の大学生の彼氏ができた。なんで好きになったかと言うと、仕事ができる人だったから。単純ね(笑)

仕事内容は掃除、レジ会計、注文取り、料理を運ぶ、片付ける、たまにキッチンで仕込みなどなど、多岐に渡ったけれども、「琳堂は声が通るから」ということで、キッチンとホールの業務の橋渡し的業務を任されることが多かった。

どういう内容かというと、お客様からの注文(印刷されたもの)をキッチンに伝えて、お盆などの用意を整えておく。料理の準備ができたらホールの人間に渡す、というような感じ。

私はこの仕事がとても好きだった。紙に書いてあるクエストをこなしていくような感覚だった。ゲーム好きが興じたのかもしれないな。

飲食店ということもあって、学生アルバイトがほとんどだったから、人間関係も学生らしいところがあった。年上の人が大半だったから、そこで上下関係というものを学んだ。

「上下関係」というと、イヤーなイメージを抱く人も少なくないと思うが、そうでもない。上が下を踏んづけるようなことを指すわけではない。上の者の振る舞いと下の者の振る舞いを上手にこなすことで円滑な仕事と人間関係を得られるというメリットがある。(上の人間がクソっていうのはこの論外ね)

私はそれまで、ちゃんと働いた経験も無かったし、勉強は好きだけど不登校気味だったし、一人の社会人として外へ出たことがなかった。働くことの責任というものを初めて知ったし、自分の働きに応じたお金が手に入るという経験も初めてだった。(お小遣いは別)

でも朝起きられない時があって、職場の近くに住む彼氏にヘルプを頼んだことも結構あったなあと思い出す。朝が苦手なのは変わらないかもしれないなあ・・・

あとは、制服はロッカーにかけてあるからいいけれど紺色の靴下が指定されていて、それをよく忘れて急いでショッピングモール内の靴下屋さんで買うことが凄く多かった。忘れ物の頻度が人よりも物凄く高かった。この頃はADHDなんて言葉は知らない。

一年ほどやって閉店のため退職。

 

3.歯科診療所(歯科アシスタント)

お寿司屋さんと同じく始めた仕事。母の知人が医療機器の販売の仕事をしていて、その営業先がアルバイトを探しているとのことで私のところに話が来たのだった。

医療のお仕事が自分にもできるかもしれないという好奇心でYesの返事をして、簡単な面接を受けて(記憶にないけど)、働き始めた。

業務内容は、治療の準備や片付け、医療器具の洗浄と消毒、医療用具の手入れなどなど。特別な免許が無くてもできるようなものなので、本当に”アシスタント”といった感じだった。

制服は医療用の丈の長いナース服だった。なんとなく白っぽいニーハイを履いていた。そっちの方が楽だったし、丈が長いからニーハイともバレなかったから。

人間関係はビミョーだった。もう一人の歯科アシスタントはパートのおばちゃんで、長く勤めているようだったから何でもこなしていた。歯科助手の女性たちは淡々と業務をこなしていたけれど、医院長のやり方が気に食わなかったらしく、いつも愚痴を言っていた。それを「そうなんですね」と適当に受け流しつつお昼を食べたりしていた。

一年くらい務めた。不穏な院内の人間関係にも嫌気がさしていたので、医院長に「そろそろ勉強に専念したい」と伝えると、「その方が良い」と同意してくれて目の前でシフトを削っていった。すると、なんと全部消えてしまった。即日退職。最高の気分だった。

この仕事で一番嫌だったのは、単調な仕事が多いことだった。真っ白な院内、薄くかかったクラシック音楽のなか、延々とガーゼを折ったりしていると気が狂いそうになったのを今でも覚えている。・・・これも、ADHD的に「単調が苦手」ということなんだろうなと今では思う。

 

4.コンビニ

お寿司屋さんも歯科アシスタントも辞めてしまったのだけれど、センター試験を独学で受験するためには問題集を買ったり模試を受けたりするお金が必要になってくるから、働こうと思って、近くのコンビニに勤めるようになった。

業務は本当に種類が多くて、覚えるまでが大変だったけれど、一度パターンを覚えてしまえばレジ打ちも速いし商品確認も速かったパターンに入ってしまえば処理が速いというADHDの能力がここで活きた。

この仕事では特に問題はなかったように記憶している。ただ、コンビニゆえにいろんな人が来るので不愉快な思いをすることもあった。でも同時に、常連さんと気さくに話をしたりできるのは日々の楽しみでもあった。

受験が迫ったので退職。一年くらいやった気がするような。

 

5.塾講師(1)

無事大学に入り、都内で一人暮らしをするようになった。

一年生の時は授業やサークル活動で忙しかったのだが、やはりバイトくらいしなくちゃ親に申し訳ないと思って、塾講師に就いた。当時は英語の教師になることが夢で、教職課程も取っていた。

担当教科は文系科目全て。主に英語と国語を小学生から高校生まで教えた。

幸い、独学力が鍛え上げられていたので科目の理解も深かったし、持ち前の能力で「難しいことを簡単なものに翻訳して説明する」ことが得意だったからとても楽しく仕事をしていた。

生徒のカウンセリングのようなこともしつつ、夏期講習の時期には一日働いてたくさんお金をもらったし、打ち上げで皆でカラオケに行ったりした。教室長も副教室長もとても良い人だった。

だが、私は当時の彼氏からDVを受けていた。頬を叩かれるなんてフツーだったし、嫉妬から携帯を壊されたこともあったし、包丁をつきつけられたこともあった。だから、心が疲れて大学に行くこともできない日があった。

結局、そういうこともあって仕事に行けなくなってしまった。教室長に精神的な負担でこれ以上勤務できないことを相談し、退職。本当に楽しかった仕事も、欝々としてできていなかった。

 

6.キャバクラ

塾講師を辞めた私は、生活に苦しんでいた。奨学金はあったけれど、親が管理していた。親の方も生活が苦しく、そもそも大学も無理して行かせてくれていたのは分かっていたから、なんとか頑張らなくちゃと私も思っていた。

なんとなくパソコンでネットを見ていたら、「姉がキャバクラに勤めていた」という人の話を読んだ。その「姉」は、大学・大学院に行きながらキャバクラ勤めをして家計と学費をやりくりしていたのだという。両親は離婚していて、父親は金をせびりに来る。そういう環境だったらしい。そしてその「姉」は医者と結婚する。

真偽は分からないが、これを読んだことがきっかけでキャバクラに勤めることとなった。求人広告を見て、一番雰囲気が良さそうなところにした。

電車で数駅行ったところの駅前のキャバクラで、店内は落ち着いており、お酒が綺麗に並び、ジャズが流れている。でもキャバクラなので、女の子は派手な子が多かったし、やはりナンバーを張るような女の子たちはみんな綺麗だった。

初めてのキャバクラ勤めだったが、ドレスを着てヘアメイクをして、お酒を作ったり男の人と話したりするのにはすぐ慣れた。人に好かれるのが得意だったから。

入店したのは12月で、業界でも一番混む時期だった。そして閑散期の2月に、私は物凄く売り上げを高めて中堅の女の子の成績を抜いた。そこから時給が3000円以上に上がった。生活は楽になったが、大学に行く体力がない日がほとんどだった。でも、生活が軽くなる方が私にとってはありがたいことだった。本末転倒。

そうそう、DV彼氏とは別れることができた。ほかの男の人を見て、目が覚めたところはあるのかもしれない。

この仕事で面倒だったのは、業界特有のルールに馴染むまでが大変だったということ。見えない上下関係を見極めていくのは集中力が要った。

 

7.塾講師(2)

時は随分流れて、正社員の仕事を辞めた後の話になる。

正社員を辞めたその月に、また塾講師のアルバイトを始めた。

駅前の教室で、大手だったがフランチャイズなので後ろには別の会社があった。

担当教科は文系科目全般。現役大学生が多いなか、英語科の即戦力として職場で重宝された。実は、これでも英文科にいたから(笑)

以前勤めた塾は担任制であったが、今度の塾は担当制ではなく、今日担当しても次回は分からない、というようなシステムだった。だから個人プレイがしにくい仕事だった。

ADHDだからか私特有なのか分からないが、私は全体が見えないのを酷く嫌う

全体像が見えなければどう動くかが逆算できない。頭の中での計画ができないからだ瞬発力が高いのも、全体を把握して大体の流れをすぐ掴むからできることで、それができなければ止まってしまうし、すごく不快になる。

この仕事も、全体の計画ができずにその場その場の臨機応変だった。臨機応変は嫌いじゃない。刺激的でやりがいがあるから好きだ。でも、中途半端になるのが酷く不快だった。仕事は質が大事だと思っているし、生徒はお金を払って私の授業を受けに来ているのだから、それ以上の何かを返してあげたいと思っていたプランニングを教室長にどんどん提案していたけど、私ができることを他の講師ができるとは限らないため、無難なことしかできなかったのが残念だった。

希望のシフトが通るとは限らない職場だったので、毎週勤務日も時間も違うから、忘れてしまったり勘違いすることがあった。ADHDだからだと思うけれど、変則的なスケジュールはメモしていても抜け落ちてしまうし、メモし間違えることなんてしょっちゅうある。遅刻もすごく恥ずかしかった。

この仕事で一番困ったのは、人間関係だった。ある事件で、どう考えても上司陣が悪いのに、すべて私のせいにされた。うつ病の治療中に、「あなたが全て悪い」「自分の発言に責任を持ってくださいね」などと嫌味的に言われたことは、深く私を傷つけたのだった。ただでさえ、うつ病の原因になった正社員の仕事での人間関係にトラウマのようなものを植え付けられたのに、また上司の態度で追い詰められた。

結局、一年せずに辞めた。うつ病のことを知っていた上司は謝罪してきたが、「仕事のせいではありません」と言うしかなかった。その人はまだ若かったし、でも信頼関係のあるとても良い上下関係だったから、ちょっとした間違った方向性が私を強く傷つけたのだと思った。というか、なんかもう面倒だった。

 

 

大体、こんな感じのアルバイト経歴を持っている。

他にもダブルワークしていたりするけれど、あまりにも話が長くなりすぎるので割愛した。

まとめると、ADHD的に困難になる職場は、

・シフトが変則的過ぎる

・人間関係に割かなければならないエネルギーが多い

・単調

・持ち物を職場に置いておけない

・朝はやい

・ ミスが許されない

 

つまり反対を言えば、

・シフトは固定

・仕事に集中できる環境がある

・適度に刺激がある(変化がある)

・持ち物などは職場に置いておける(もしくは無い)

・朝は比較的余裕のある時間から働ける

・些細なミスもそこまで追及されない

 

こういう環境だと言うことなし。で、その上に個人のスキルやら好みやらが乗っかってきて、具体的な職が見えてくるんじゃないかなと思う。

正社員はともかく、アルバイトを考えてる人の参考になればいいなーと思います。