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琳堂ヤコのHell's Drive

ADHDで躁鬱で教養あるけど生活力ない人

障がい者施設での殺人に対するコメントに対するコメント

タイトルが長い。長いけどそういうことを話したい。

 

今月26日の午前二時過ぎ、障がい者施設で悲惨な殺人事件が起きたのはもう沢山の人がニュースで聞いていることだと思う。

headlines.yahoo.co.jp

 

事件について、私はこういったニュースを深読みする知識や経験もなければ、自分の手に負えるほどの規模の思考対象でもないと思っているので、記事に書けるほどの考えはない。

私は今回書くのは、この事件に対しての精神疾患発達障害界隈の反応だ。

代表的な反応に番号を振って、後にそれらに対する私の意見感想を書いていきたいと思う。

 

1.この殺人事件の犯人は、「障がい者がいなくなればいいと思った」などと犯人が供述しているとされ、それに対して発達障害当事者がなんとも言えない不快感や戸惑いや気負い、あるいは憤りを持っている。

2.そして、とある人たちが「こんなに大量殺人を行うなんて、犯人は精神疾患だ」とコメントするのを読んで、精神疾患当事者が怒る。「都合の悪いことは全部こちら側に投げ捨てるの?」という怒りだ。

 

そのどちらをも読みながら、私はなんとも言えない冷めた心でいた。冷めたというより、平常心と言う方が人間味があるけれど。

 

3.障害当事者の安楽死をどう思うか、死んだ方がいいと思うか、などというTwitterアンケートもRTで回ってくるようになり、「一体Twitterで聞いて何になるんだか」という感じ、「アンケート作った時点で半ば満足しているだろうな」という先入観が私のなかにあるのが否めないが、炎上するほど盛り上がったのは間違いない。

4.福祉・介護職・障がい者を持つ家族界隈では「安楽死」というよりも「殺したくなる気持ちはわかる」という言葉も出てくる。そしてそれに傷つく当事者。

 

さて、それぞれに私が思うことを書いていく。

1.今回私が言いたいことの一つは、当事者は「徹底して心を守れ」ということである。

事件の報道だけでもどこか傷つく人は、事件に関する一切の情報を遮断するのをお薦めする。知ったところで、自分は傷つくし、知らなかったら損をするということは全くない。

Twitterでよく事件に関連することをRTで回してくるユーザーは、RTを非表示にしておけば特に問題ない。本人もよくツイートするならば、一定期間その人をミュートするのも大いに結構だと思う。

 

2.そして、精神疾患の一部の方が抱く憤りを私なりにたしなめたいと思う。

そもそも「精神疾患」というのは千差万別であり、一概には言えないものである。犯人は「精神疾患」かもしれない。だからといって、「我々の領域に」などと考えなくてもいい。

確かに、理解のあまり深くない人たちにとって「精神疾患=加害者・危ないやつ」という式ができるかもしれない。だがそんなものは今更。理解が深くない人の考えをわざわざこちらがあげつらって批判するのも時間と気力の無駄である。啓蒙して回るならまだ分かるけど。

だったら黙っていればいいの?と言えば、そうである。黙っていればいい。もしくは、「私は精神疾患当事者だが、それ(犯行)を受け入れないほどにはしっかりとした分別がある」と言っておく・思っておくことで十分だと私は思っている。

人は簡単に自分の中の印象を変えられることがある。それは、精神疾患当事者の一人一人の姿から始まると思う。事実がどうあれ悪い例がこの事件であるが、良い例を作れるのも我々だということも覚えておきたい。

 

まとめると、精神疾患にも様々あり、全ての精神疾患当事者が酷い加害攻撃を人に加えるということもなく、少なくとも私はそういうことに関して分別がある」という態度を自分に対しても他人に対しても持つ、ということが私にはベストに思えるのである。

 

 

3.「障がい者は死ぬべきか」「障がい者安楽死はどうあるべきか」というアンケートに関しては、結構ダメージを食らった人も多いのではないかと思う。

なぜならば、どちらのアンケートも「死ぬこと」を前提にしているからである。頭ではそう捉えていなくても、心はそれを感じている人も少なくないことかと推察する。

私はこういう議論的なテーマでのアンケートがとても好きじゃない。質の良い答えを出すには質の良い問いと質の良い議論者が揃わなければならない。アンケートはただ誰にでも彼にでも「どうおもう?」と聞きまわり、考えてる人も考えてない人も、感情的な人も理性的な人も参加するのであって、問いに対する真っ当な答えは出にくいだろうと思う。つまり、アンケート結果に一喜一憂することはないということだ。そんなもん、質が悪いんだから信用もしなくていいのだ。

 

大体、人が死ぬべきかどうかを他人が考えるだなんてセンスの欠片もない。他人の命は他人が決めるものである。生きていて幸せなんだろうか、なんて他人が考えるなんてこともナンセンスである。幸福とは自分自身が決めることであるからだ。例えどんな障害を持っていようと本人が生きていて喜びを感じるならば幸福はあるし、例えどんな障害がなくても本人が生きていて喜びを感じず不幸だと思うならそれはその人の中では不幸だ。

 

私は趣味で文通をしているが、昔とある人からの手紙で「知的障害の方は生きていて幸せなのでしょうか」「姉は、障がい者はいいよね、人の税金使ってばっかりでさ、などと言います」というので、さすがの私も頭の悪さに辟易した記憶がある。

前者の幸せがどうかは上記の通りの考えのもと、「他人様が幸せかどうかなんてジャッジしてんじゃねえぞ何様だ」と思うし、後者に至っては「お前も公道走ってんだろ公共機関使ってんだろ」と思うわけだ。後者の場合、その人の考えは大体こうである。

「私はこんなに頑張って日々働いて税金を納めて真っ当に生きているのにその税金は私よりも楽な生活をしている障がい者に充てられる。不愉快だ」ということである。つまり、八つ当たりなのである。少し考えれば、国の保証は国民保健も同様、相互扶助(お互いにお互いを支えあうような意味)で成り立っていることが分かる。そして基本的人権という、「人間として産まれたからにはその人の人格を尊重する」というルールがある。人権とは、「人としての権利」である。このルールは個人個人がその権利を享受し、尚且つそれが守られるように、自分だけではなく他人にもその権利を認めることで成り立っている。

 

つまり、「障がい者なんていなくなればいい」というのも、人権を否定することにつながるし(自分の幸福の権利しか認めていない)障がい者は生きていて幸せなのか」という問いも、「私は障がい者は生きてて幸せじゃないと思う」という勝手な妄想と思い込みから生じているもので、相手をするに足りないものなのである。なんとなく伝わったかしらん。

 

4.介護職・福祉職・また障がい者家族を持つ人たちが、「死んだらいいのに」と思うことについては、これも全く個人的な感想なので当事者がとやかく言うことではない。愚痴なのだ。大体の人は理性が働き、「いま私は疲れてるんだ、この仕事は大変だなあ」と思い直す。当事者はそこをよく覚えておくといい。

今回の事件の犯人と、介護・福祉職に就いている人たちの愚痴と、文面が一緒(「死んだらいいのに」)だとしても、大きな違いがある。愚痴か、それとも信念か、という点である。

 

そして昨今言われてきているように、介護職・福祉職・障害を持つ家族を持つことは部外者が想像する以上に重い仕事であると思う。その人たちがいつも「この仕事は生きがいです!みなさんのお役に立ててうれしい!」などと爽やかに笑うなんて、ありえないことである。私は在宅で祖父の介護を簡単にしたことがあるのだが、自分の時間をとられること・自分のタイミングではないタイミングで対応しなければならないことは、いくら簡単なものでも精神にはキツい。それに加えて痴呆があったとすれば、正常な意思疎通も難しいので更に精神的負担があったことだろうと思う。(幸い祖父はひどい痴呆がなかった)。意思の疎通がうまく行かない相手とのやりとりは結構なストレスである。

まあつまり、「仕事の愚痴くらい見逃してやれ」というのが私の意見である。その人たちを否定するのではなく、その人たちの負担をいかに分散させるかを考えていくことが話の展開に繋がるのは、私が言わなくてもみなさんご存知のことだろう。

 

 

さて、最後にここで少し私が感じたことを述べておきたい。ただの感想である。

先日のFNNニュースの記事で興味深いものがあった。今回の事件をうけて、障害を持つ側・親族がどう思っているかということが少し取り上げられていたのだ。

www.fnn-news.com

この映像の中で、献花台を前にオイオイと泣いている一人の知的障害当事者がいる。行き場のない悲しみや怒りが叫びとなっている。

障がい者がいればみんな不幸になる」という犯人の主張は、ただ単に自分が「障がい者がいると大変だし俺は不幸だ」と言うのを極度に一般化しただけである。「障がい者」が死ぬ(殺される)ことで、こういった施設で無残な殺人が行われることで、こんなにも悲しむ人がいる。犠牲者たちを見知らぬ私も心が痛んだ。誰かがいなくなったらみんながみんな喜ぶなんてことはあり得ないと私は感じている。(だいたい、”みんな”って誰だよ

 

 

長くなったのでここまでをまとめると、

1.事件に関するニュースや意見を見ると気分が悪くなったり不安定になる人は情報を避けること。RT非表示やミュートなどを使うこと。

2.発達障害精神障害当事者は、犯人とは違ってわたしは分別があるという態度をもって当事者外の人たちの意見を冷静に読むこと(その意見は感情から来たものかどうか・その意見は偏っていないか etc...)

3.質の良い答えは質の良い質問と質の良い議論者・回答者がいて初めて生まれるからこそ、質問と回答者の質が高くないアンケートの結果に一喜一憂しないこと

4.幸せかどうかを決めるのは自分自身。そして他人が幸せか不幸かを決める権利は誰にもない

5.その思い・意見は「愚痴」なのかどうかを見極める

6.「誰かがいたらみんな不幸になる」「誰かがいなくなったらみんな喜ぶ」という意見の大半は「誰かがいたら俺が不幸になる」「誰かがいなくなったら俺が喜ぶ」という意見から来た極論である

 

 

障がい者精神疾患当事者も生きてていいのよ。惑わされないでね。大丈夫よ。理性的な人や味方の人は思うほど少なくないのよ。大丈夫よ。