琳堂ヤコのHell's Drive

ADHDで躁鬱で教養あるけど生活力ない人

怒りを制御する人はうつになりやすい?

新聞社のニュースサイトを閲覧して回っているときに、「怒りを制御する人はうつになりやすい」という記事を見かけた。

とても興味深かったので私自身を振り返るためにもちょっと書いていきたいと思う。

 

そもそも、人間には基本的に喜怒哀楽というものがある。

その中でも怒りというのはエネルギーが強い。そのエネルギーはどちらかと言えば負のエネルギーなのだが、上手な人はそれを「正」に変えて行動のエネルギーにしている

一方で、負のエネルギーにしたまま己のうちに溜め込んで潰れてしまう人もいる

「怒りを制御する人はうつになりやすい」という話は、この後者のことを言っているのだと思う。

 

怒りというのはそれ自体は悪いことではない。人間として不思議のない反応の一つである。それをどう扱うかで善悪が出てくる。

例えば、怒りをそのままぶちまけて人を散々傷つけるのは、自分の感情をコントロール(管理)できていない未熟な人間ということだし、怒りを一度こらえて理性的に相手にどう感じたか・どうしてほしいかを伝えるのは怒りをコントロールしつつ問題解決をすることができる社会的スキルを持っているということだ。

問題は、この二つの怒りの表現のどちらもしないタイプだ。私のことである。

 

私は温厚な人間・寛容な人間だと胸を張って言える。というのも、そういう自分になろうと絶えず意識して努めてきたからである。そして人からも「寛容だね」と言われることが多い。

心優しく賢明で理性的であること・・・それが私の理想の人間像である。それに敵うために、中学生の頃から常に常に努力してきた。

その根底には、「怒りをそのまま表現する人間は幼稚である」「自分の負の感情を相手にぶつけるなんて未熟な人間のすることである」という強い認識がある

つまり、「怒りを表現する自分」、「負の感情を相手にぶつける自分」というのは、幼稚で未熟だ、という式がここにできあがる。私はそういった点ではプライドが高く、自分に厳しいので、未熟な自分をいかに無くすかということに集中してきた。

その結果の「ヤコちゃんは寛容だね」という評価だった。

 

私が怒りを相手にぶつけない理由は上記の通りだが、負の感情を抑えるというのはとてつもないエネルギーが要る。

先ほども書いた通り、怒りのエネルギーは莫大である。その強さにぶつけるもう一方の「理性」というエネルギーも、それ相応の強さがなければならない

これを己の精神の中で独り行うのだから、怒りのエネルギー+理性のエネルギーが消費されることになる。つまり、「怒りを理性によって制御せず外に放つ人」よりも単純計算で倍疲れるということになる。しかも、私の場合、怒りを十分に発散しないので負のエネルギーは心を痛く傷つけていく。

「怒りを制御する」ことは、エネルギーの要ることである。それは、大人として徐々に身につけていくスキルなのだが、大人は「上手に怒りを伝える」こともできなければならない。でなければ、バランスが悪くなるのである。

怒りを相手に伝えることは、上手にすればなんの問題もない。理性の制御とは、怒りを上手に伝えるときに役立つ。しかし私の場合は、伝えることがほとんどない。全てを制御する。(もちろん伝えるときもあるよ)

なぜそうするかというと、「寛容な私が怒るくらいのことをする相手にもはや何を言っても時間の無駄である」という考えがあるからである。つまり、そういう行動をした時点で私はその人への評価を決めている。(まあみんなそうだよね多分)

ということで、「怒りを伝えない」ことがエネルギー消費の削減に繋がると自分の中で定着しているのだ。無駄に怒るのもエネルギーがいるから。

しかし「怒り」というのは「不快感」ということで、相手に伝えない「不快感」は私の中でそのまま残る。制御できても腹が立つことは立つのである。それを表現しないだけで。

愚痴を話して友人に「怒り」を共感してもらうことは一つの発散方法だが、中学~18歳頃まで、その怒りを愚痴として誰かに伝えることも自己評価の低下に繋がっていたのでしなかった。つまり、人に話しているときに、「こんなことで怒っているなんて私は幼稚で不寛容な人間だ」と自覚してきて嫌になるのである。

ここでの問題は、「怒って当然」という考えが抜けていたことである。私の中では、全ての幼稚な人間(怒りをそのまま人にぶつける人間・私の中に怒りを発生させるような人間)から広く差を持つことで一定の自己評価を持っていたから、「怒る」ということはその幼稚な人間と近づくことだと思い込んでいたのである。小学生の言うことにいちいち大人は腹を立てず相手にしない、というような意味で。

 

そんなこんなで、私は物凄いエネルギーを消費していた。

理想の式は、

「怒りのエネルギー」+「理性の制御のエネルギー」-「怒り認めること」-「ストレス発散」

なのだが、私は長らく、

「怒りのエネルギー」+「理性の制御のエネルギー」

のみでやってきたのである。だからこそ、対人関係では莫大なエネルギー消費が起こってしまったのである。回復薬ナシ!

 

そう考えてみると、「怒りを制御する人はうつになりやすい」というのも頷ける。

現に、私も学生時代は怒りを制御しすぎて何度も潰れていた。他者に対する自分の怒りを認めてこなかったからである。

今思えば、「無理ばっかりしてたなあ」とも思うのだが、まあ、気づけて良かったし、この「無理」のおかげで寛容さはかなり鍛えられたので、あとはバランスをうまくとるだけなのだ。これからは変わるぞ、という考えで生きていきたいと思う。

我慢するだけではなく大人のやり方で怒りを表現すること、自分の中の怒りを認めること。それが私の目標だ。制御はもう得意中の得意だからね(笑)

私の「生き直し計画」の一つです。これから上手くなっていけるといいな。